↑ カムナガラノミチウタの一例



前項で「被征服者のある人々は、征服者達が恐れる何か特別な能力、知識などを有していた…」という推測を立てましたが、優れた能力、知識を有した民族が征服されるとはどういうことなのか?という疑問を持たれる方も多いと思います。この項ではその辺りからまず考察していきましょう。

歴史的偉人と言われる人達がいます。例えば科学の分野では、ニュートン、エジソン、アインシュタイン…など、彼等の名前を聞いたことがないという人はまずいないでしょう。
では、ライプニッツ、テスラ、ボーア、シュレーディンガーと挙げたらどうでしょうか? 大学などで専攻している、また専門職である…などの条件がなければ、彼等を知っている人は極端に少ないのではないでしょうか?
しかしながら、例えば微積分の計算をする時はどうでしょう?



このような記号を使って計算していますよね?これは実はゴットフリート・ライプニッツが考案した方法です。しかし一般的には微積分はニュートンのものとされています。
また私達は日常的に電気を使って生活しています。コンセントにプラグを差し込めばどこでも電気が使え、大変便利です。これは交流という方式で、電気を大量に広範囲に送ることができます。これを考案したのはだれでしょう? 多くの人は電気と言えばなんでもエジソンだと勘違いしていますが、実はそれはニコラ・テスラです。
またアインシュタインは虚数の取り扱いをめぐって、エルヴィン・シュレーディンガーと喧嘩紛いの論争をしていますが、現在のエレクトロニクスを多用した私達の生活は、量子力学系の研究者が好んで使った虚数によって成り立っているのです。

一体これはどうしたことなのでしょう?
私は決してニュートンやアインシュタインの功績を認めないわけではありませんが、その功績以上に気になる「ある傾向」があるのです。

例えば… 微積分はライプニッツの出版の方が先だったのですが、ニュートンは発表前の論文を王立協会の数名の会員に渡していたことを理由に、ライプニッツがその未発表の論文からアイデアを盗用したと主張したのです。この論争により、ヨーロッパの数学界の仲は何年にも渡り険悪になってしまいました。
しかし後にライプニッツとニュートンの論文を慎重に精査したところ、ライプニッツは積分から、ニュートンは微分からそれぞれの論文を構築していることから、それぞれ独自に結論に到達しているということが判明したのです。ですから、ライプニッツは決して盗用などしていないのですが、当時の判断では、ニュートンが王立協会の会長という立場を利用して、ライプニッツの著作を盗作としてライプニッツの名誉を奪いました。そしてその後まもなくライプニッツは失意のうちに亡くなりました。
結果として、社会的にはニュートンの微積分ということになったはずです。しかしその後の歴史の中で定着したのは前述のライプニッツの方法です。その優れた記述方法が多くの研究者に採用されたためです。しかもその名称はライプニッツが名付けた「calculus」、つまり「微積分」として定着したのです。 ニュートンはそれを 「the science of fluxions」と呼んでいました。

発明王エジソンはどうでしょう?
エジソンはテスラが活躍しはじめた頃には、すでに発明王として大成していましたが、電気のインフラ事業のための送電方法については、テスラが主張する交流方式と、エジソンが主張する直流方式は対立し、苦戦を強いられていました。そのためエジソンは権力を利用して、テスラを貶めるためのネガティブ・キャンペーンを画策しました。交流は危険であるという間違った印象を人々に持たせることで、直流に世論をなびかせようとしたのです。その方法が電気椅子による死刑執行です。交流発電機を使った感電の動物実験を重ね、電気椅子を製作してニューヨーク市に話を持ちかけ、交流が電気椅子に採用されるように画策したのです。
一方テスラは、そういったネガティブキャンペーンや、支援資本撤退で貧困に陥りながらも、地道に研究を続けました。テスラは無料でどこでも誰でも電気が使えるように無線送電しようと考えていたのですが、それが出資者であるインフラ事業を営む企業の利益に反したことから資金援助はストップされ、事業的には孤立無援となり、その先進的的な研究やアイデアの多くは実現することなく亡くなっています。
テスラは映画などのフィクションの世界においては、悪のマッドサイエンティストのイメージ(頭髪が静電気で逆立って、稲妻の飛び散る怪しい装置を操る)として扱われ、一方エジソンは勤勉で立身出世した世界の偉人として各国の教科書にも取り上げらました。
しかしながら、やはりこのケースにおいても、人物は不遇に終わっても、その功績であるテスラの交流方式は現在でも広く採用され普及し、私達はその利便性の恩恵の中で暮らしているのです。
またしばしばテスラは、非常に先見性のある研究内容や、音楽や詩が好きというところからくる芸術的な表現の発言が、オカルトや疑似科学の分野から歓迎されたことから、眉唾なイカサマ師と誤解される場合があります。しかし実際に本人がオカルトにかぶれていたのは事業家エジソンの方です。テスラは非常に純粋な…、幼い子供や野生動物のように純粋過ぎた、一人の優れた自然観察者であった…と見るべきでしょう。
(エジソンの偉人伝について、現在ではその逸話のいくつかはでたらめであったことが確認されています。)

アインシュタインはどうでしょう?
特殊性相対性理論 、一般性相対性理論などの功績は疑う余地の無い素晴らしい研究ですが、アインシュタインは、1939年当時のアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトに、原子力とその軍事利用の可能性についての手紙を送っています。非常に強力なその新型爆弾の威力について「この爆弾一つだけでも、船で運んで爆発させれば、港全体ばかりかその周辺部も壊すことができるほどの威力を持っています。」と説明したのです。その翌年、彼はアメリカ国籍を取得しました。
一方、量子力学の生みの親であるニールス・ボーアは、自身の原子核分裂の予想が、原子爆弾開発への重要な根拠にされてしまったことから、その後の世界の核による軍拡を憂慮し、西側諸国に対して、旧ソビエト連邦も含めた原子力兵器に関する国際協定を制定するよう奔走しましたが、うまくいかず、結局原子爆弾は日本に投下されてしまいました。
またボーアの後進であるドイツのハイゼンベルクは、ドイツの原爆開発チームの一員でしたが(本人は望んではいませんでした)、密かに占領下のデンマークのボーアを訪ね、ドイツの秘密開発情報を渡して、ナチスの原爆開発を意図的に遅延させようとし、原爆開発競争の抑止に尽力しました。にも関らず、ヨーロッパの終戦後は他のナチスの研究者と同列に扱われ、イギリスの情報局によって幽閉されてしまったのです。ハイゼンベルクはその牢の中で日本への原爆投下を知り愕然としたのでした。
自分達の立場が脅かされても日本の原爆投下を阻止しようとした、このような科学者達がいたことを、ほとんどの日本人は知りません。そして戦後、多くの日本の人々は「アインシュタイン=天才」というメディアの発信するイメージのみで、手放しにアインシュタインを賞賛し続けたのです。もちろん原爆投下後にアインシュタインが、そのことについて酷く後悔したということは広く知られていますが、そのきっかけを自ら作り出した本人が、投下阻止のために事前に奔走することがなかったことは間違いありません。
またこのケースにおいても同様のパターンが見受けられます。当時先に大成していたアインシュタインは量子力学を完全に否定していたのです。しかし現在の半導体技術に代表されるエレクトロニクスという分野において量子力学ほど役に立っている理論はありません。この研究による私達の暮らしへの恩恵はもはや説明不要でしょう。
(※量子論についての関係する科学者達の立場は、それぞれ解釈に微妙な違いがあり、スタンスも様々です。その一部は、こちらのページで紹介しています。)

この3つのケースには共通した特徴があります。
まず、研究、仕事の先にある権威権力を志向する人と、研究、仕事などそのものを志向する人という構図です。
権威権力を志向する人は、最初に見つけて利権となったものに固執します。後進の革新的な発見や研究を認めません。またそれを権力によって排除しようと企てます。
一方、研究、仕事そのものを志向する人は、そういった企てに対してあまりに無防備です。そういった闘争に力を注ぐよりも、研究や仕事そのものに没頭したかったのでしょうか…。
またボーアのように自分の研究が人々にどのように使われるのか?ということについて責任とプライドを持つ…という律儀さも特徴的です。この点においてはテスラも同様でしょう。
そして歴史の一時的(彼等の活躍時期)に、例え世間から認められなくても、研究成果はその後に不思議なほどに世間から採用され普及するという特徴もあります。
(また権威権力を志向する人はスペシャル、つまり専門を志向し、研究、仕事そのものを志向する人はジェネラル、つまり幅広い指向性を持つという傾向も特徴的です。これについては後述します。)

これまで私達現代人は、ちゃっかりと何も知らずにその恩恵にあずかり、そして何も知らずにその恩人を誹り、反対に何も知らずにその恩恵を潰そうとした歴史上の偉人達を尊敬してきました。
この問題こそが「優れた能力や知恵を持ったものが滅ぼされてしまう…」というパターンなのではないでしょうか?




私の調べましたところによりますと、カタカムナ文献の現代における発見者、楢崎皐月氏にも前述のパターンが多く見てとれました。それが私にとってカタカムナ文献を吟味してみようというモチベーションにも繋がったのですが、一般的には、テスラ、ボーアなどと楢崎氏を同列に論ずるのか?という反対意見も多いと思いますので、彼の業績の中で、比較的知られている範囲で少し例を挙げてみましょう。

楢崎氏は1958年に、農業、工業などの技術専修員のためのテキストとして「静電三法・技術専修員用テキスト」(静電研究会)を著しました。現在では「静電三法」というタイトルで復刻されています。そこには様々な静電気を応用した技術が紹介されています。この時までに、すでに彼はそこに記されている様々な技術について、その効果を確認していたのです。もちろんそのことについては、様々な関係者から証言を得ましたし、実際に見学して確認させて頂いた事例も数多くありました。
特に「植物波農法」と名付けられた農業技法は、広く利用され、現在の無農薬農法の理論的な核となっていますが、ここでは工業的な静電技術の方を取り上げてみましょう。

そもそも楢崎氏は、農業、工業、医療など、特定 のジャンルに向けて研究をしていたわけではありませんでした。カタカムナに基づく基礎物理の研究の追試実験として、二次的に開発された技法に様々な利用価値が生まれたに過ぎません。
その中に静電圧印可用電源装置と名付けられた装置がありました。重畳波と定義した複数の周波数を持つ高電圧を、大地絶縁した被験物に印可するものです。その装置とそれに附随した様々な静電技法は、幅広いジャンルに普及しました。そしてその技術によって生成された陰イオン(現在ではマイナスイオンという名称で一般に商品名として認知されています。)や陽イオン、またプラズマ状態や、放電現象の働きは、様々な物質に効果を与え興味深い方向へ変成させることを突き止めたのです。
水、食品などの鮮度保持に効果を発揮したり、空気清浄装置としても使用されました。空気清浄といいますと、それまではいわゆる換気装置であったものが、彼の考案した技術にかかれば、根本的なウィルスや腐敗菌などの除去が可能となり、またそれら有害原因が発生しにくい環境設定としても使えるのです。
またそればかりではなく、その効果は金属など様々な物質にまで及び、強度の増加、可塑性の増加、腐食の防止、塗装の精度の向上、製鉄精錬精度の向上などなど、様々なジャンルの工業製品に役立ったのです。
またそれは医療に役立つ治療機器としても使うことができました。

楢崎氏はその技術を、近視眼的に単に電子のふるまい…とは見ておらず、周囲の環境条件との関連性の中にその効果を見い出していました。ですから当時からすでに「環境のただの電場」という意識ではなく、光などを当てる「照射場」、電波照射による「高周波電界場」、イオン交換を行う「置換場」、イオン浴を行う「コロナ場」…などの様々な「場」を設定する必要性を意識していたのでした。中でもそれらの場を多重させた「重畳場」、宇宙規模も視野に入れた位置勢力を利用する「摂動場」、高速粒子を物質に射突させる「加速場」…などを設定した辺りは、単なる工学の域を超えています。新たなベーシックとなる物理の発想(カタカムナ)が、その根幹にあったことを伺わせます。楢崎氏は電気というものの本質を探ろうとしていたのです。

前述しましたいわゆるマイナスイオン製品が一般に認知され商品となり始めたのは90年代初頭です。また塗装、製鉄などで静電技術が活用され始めたのは70年代です。この先見性が楢崎氏の特徴です。

またこういう例もあります。
「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書 2007年)という非常に話題になった書籍があります。(サントリー学芸賞、第1回新書大賞) 著者は福岡伸一という生物学者です。この中で取り上げられた「動的平衡」という概念があります。福岡氏はドイツのルドルフ・シェーンハイマーの発見した「生命の動的状態(dynamic state)」という概念を拡張し、生命の定義に動的平衡(dynamic equilibrium)という概念を取り入れて、「生命とは動的平衡にある流れである」と、その著書の中で説明しました。
この考え方は多くの人々に新しい生命観を示唆したとして、世間に非常に大きなインパクトを与え話題となったのです。
物理学などの分野においては、この「動的平衡」という考え方自体は、それほど目新しいものではありませんでしたが、それは生物や生命観においても当てはまるとしたところが革新的だったのです。
ところが31年前、1971年の相似象学会誌において、楢崎氏は次のように述べています。
「一切の物は、動的性質を有し、動態における統計的静(絶対の静止ということはあり得ぬが、統計的には静と言いうる状態の意味)の性質がある。」 また1973年の会誌においてはそれを「動的平衡」という言葉で説明し、それは宇宙構造や物質に留まらず、生命や、人間の社会構造や精神構造にまで、その相似が伺える…としています。
物質的には、絶対零度における零点振動や、最近の「小沢の不等式」で知られる電子の振動などで証明されたように、この楢崎氏の説は物性論において正しかったわけですが、生命観においては、それは未だ実証されてはいません。しかし、多くの人々に示唆を与えた福岡氏の研究に先駆けること30年以上前に、同様のことを発表しながらも、世間から眉唾と見られていた研究者が存在した事実を見逃してはならないと考えています。
(私はこの件に関して福岡氏を非難するつもりは微塵もありません。むしろそういった概念を再び取り上げて、一般に広めて下さったことには非常に感謝の念があります。この先もメインストリームの学閥からの様々な横槍に負けることなく、研究を進めて頂きたいと思っています。)

このような例が楢崎氏には非常に多く見られ、これは前述のテスラなどの先見性と非常によく似ています。
また楢崎氏は戦後の荒廃した日本を見て国家の行く末を思い、自身の研究の成果を個人の利益としませんでした。一切特許を取らずに公表していたのです。そのために名誉が後世に残ることがなかったのです。そして、その技術は多方面に流出し現在に至っているというわけです。(マイナスイオン商法や、電気治療機具などの粗悪品が出回ったのは、それを悪用した側面でしょう。) またそれらの研究が当時の政治経済界の事情と相反したことから、様々な妨害に遭ったことなども、前述の3例との相似が見られます。



このような「お人好し」具合を、このサイトをご覧の方々はどのように思われるでしょう?
「馬鹿なヤツだ、自分ならばもっともうまく立ち回ることができる」「社会不適合者なのだから、いくら凄い研究をしていたとしても落伍者だ」…などの意見が、現代日本においては主流なのだと思います。匿名性の本音が読み取れる「2ちゃんねる」などにその傾向性がよく表れています。一時期盛んに話題になった「勝ち組負け組」理論ですね。

そこで少しだけ考えてみましょう… 
負け組科学者達が、2ちゃんねる的に言えば、馬鹿で、愚かで、人間の屑だとします。だとするとその屑達の創り出したものなど、勝ち組の立派な人々は使用するべきではありませんね。
交流電気のシステムは止めて、立派な勝ち組のエジソンの直流で送電しましょう。微積分は立派な権威者であるニュートンの方式で計算しましょう。エレクロニクスは否定しましょう。なぜならアインシュタインは虚数なんて使ってはダメ…と言ったのですから。パソコンや家電製品もみんな捨てましょう。なんといっても勝ち組の皆さんからしたら、下賤な屑達が創り出したエレクトロニクスなのですから。食品が腐りそうになっても静電処理などやめましょう。塗装の斑が気になるような神経質な性格でも、それは諦めましょう… だって楢崎皐月は屑なのですから…

賢明な方々ならば、もう説明は不要ですね。
「狡猾さ、抜け目なさ、ちゃっかりすること、えげつなさ、ポジショニングの上手さ、風見鶏…」そういったことを賢さとするのか、「新しい知見に目を向けて、愚直に可能性を追求し、それを発見すること」を賢さとするのか? の違いなのです。
(蛇足ですが、2ちゃんねるユーザーにも賢さの2方向性があります。実際の世の中では、極の端に振り切ることは珍しく、その集団は2方向性の中のグラデーションとして存在していることが多いのですから、どちらの方向を向いていることが多いのか?という統計的な観点が必要なのだと思います。)

こういう意見があります。人間は進歩したというが、本当に進歩したのだろうか?…と。
昔に比べれば様々な技術が開発されて人間は進歩したのだ…というのが一般論ですが、しかしながら多くの人達は実際には何も発見していなければ、何も発明していません。一握りの人達がそれに気付き、それを実現させたに過ぎないのです。いわば多くの人達はそのお相伴に預かっただけで、何もしていないのではないか?と言うことです。
私はこの意見に賛同します。私も含め多くの人々は何もしていないのに進歩したと錯覚しているに過ぎないのではないでしょうか?

私は個人的にはこう考えます。何もできないにしても、せめてその素晴らしい賢者達が活動しているその時期に、その人達の才能、可能性、実際の功績などを見極める能力だけは身につけたい…と。
確かに現在ならばテスラは立派な科学者であると勝ち組の人達も認めるでしょう。しかしながら、果たして彼のリアルタイムにそれを認めることができたでしょうか? ポジショニングを最優先に勝ち組になりたいと考えた場合、あきらかにエジソンの側についたはずです。実際、当時テスラを認めることができた人は非常に少なかったのです。それはエジソンのメディア戦略などの目くらましに騙されていたからです。勝ち組が優秀と言うならば、騙されていてはいけないはずですね。
私はテスラになれないまでも、せめてマーク・トウェイン(トム・ソーヤの冒険の作者として知られる小説家 テスラの親友)のような存在にはなれないものだろうか…と切望しています。

これをご覧の皆さんはどのような立ち位置を希望されるのでしょう…?


また補足ですが、楢崎氏は学閥などに所属することのなかった民間の研究者(軍所属時代以外)です。 それをして「権威が無かったから、それを補うためにカタカムナのような作り話をでっち上げたのだろう…」という意見をよく耳にします。これはインターネット文化によく見受けられるコピーペーストによって広まった見方ですが、これについては矛盾があると考えています。
なぜならば、楢崎氏が戦後活動していた研究機関は、カタカムナ秘話においてよく知られた星製薬の支援に限らず、現在でも大手企業として存続している数多くの企業が、その試験、研究のためのシンクタンクとして利用していたという実績があるからです。ようするに「引く手数多」の状態だったのです。
星製薬の支援の元、千島喜久男氏、桜沢如一氏などと共同して行っていた農業指導活動は、確かに農薬普及の立場をとっていた当時の政府機関や農業組合などからの妨害を受けて苦戦し、頓挫してしまいましたが、その他のジャンルからは歓迎されていたわけで、他にいくらでも身の立つすべはあったのです。
つまり前述の意見に拠る「カタカムナ」を口にする必要性がなかったのです。
逆に言いますと、むしろそのようなことを口にする方が研究の信頼性を失い、楢崎氏の存在を危うくしてしまう危険性があったのです。またそれを彼自身がよく認知していたことも宇野氏から聞き及んでいます。
それでもなお「カタカムナ」を口にしたのは、彼の研究は完全に彼一人の思いつきではなく、カタカムナ文献の基礎物理に裏打ちされたものである…という事実に対する礼儀だったのではないか…と、私は推測しています。




カタカムナ文献 その信憑性についての考察 4 へ続く

 

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